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『出羽三山』


出羽三山は、月山、羽黒山、湯殿山の総称で、古くから 山岳修験の山として知られています。約1,400年前に、 第32代崇峻天皇の皇子である蜂子皇子(はちこおうじ)が三本足の霊烏に導かれ、羽黒山に登拝し、羽黒権現を獲得、 山頂に祠を創建したのが始まりとされています。皇子はさらに 月山権現と湯殿山権現を感得し、三山の開祖となりました。
以後、羽黒派古修験道として全国に広がりました。


肖像画は気味悪く描かれていますが、蜂子皇子(はちこおうじ)は能除大師とも呼ばれ、多くの人々の苦悩を取り除いた為、このような形相になったといわれています。


【由良と出羽】


出羽三山の開祖 蜂子皇子(はちこおうじ)上陸の地 由良。

由良伝説には諸説あるようですが、その中の一つをご紹介します。 飛鳥時代、父である第32代崇峻天皇が蘇我馬子(そがのうまこ)によって暗殺されたことで
蜂子の身も危ないと案じた、聖徳太子(しょうとくたいし)の勧めにより、京都の北部から船で海上を渡り、由良の浦に辿り着きました。美しい八人の娘達の導きで洞窟に入ると、髭の翁があらわれ、皇子に東の方角にある神の山を教えました。しかし道に迷い困っていると、片羽八尺(2m40cm)もある3本足の大烏が飛んできて、皇子を神の山へと導きました。
これによって、由良の浜は八乙女の浦と呼ばれ、皇子を導いたカラスの羽が黒いのに、ちなんで山を羽黒山と名付けられたそうです。



【修験道とは】


修験道は、山岳信仰に仏教などの外来要素が結びついて
出来上がった、日本における宗教的な実践の一つです。
修験道を行う者は、一般的に山伏(やまぶし)と呼ばれます。
山伏は、その名の通り、山に伏し(山を棲みかとし)、山中における厳しい修行を通じて呪術・宗教的な力を得るといわれています。