初代神武天皇様が日本国統一のために、天河の社壇の真名井と称えられる神奈備に拝せられ、
ヒノモトという言霊を拝受せられました。この真名井は歴代天皇様の拝されました聖地であります。

白鳳年中に下って、初花姫が天河の社壇に額ずかれた時、天下る天女の響きを拝受せられ、
御鏡(みかがみ)と十五の督(とく)を受け賜いて、大和の葛城にて役小角を出生されたのであります。

役小角は母、初花姫よりその御鏡(みかがみ)と十五の督(とく)を拝受せられ、
熊野より吉野に向かう七十五靡を開山せられ、吉野熊野の最高峰、弥山山上に拝せられた時、
母の初花姫と等しく、天女を辨財天と感得せられたのであります。

 そして天武天皇が大海皇子と呼称されている時に歴代皇室の祈られた天河の神奈備に拝せられ、
壬申の乱の勝利を願われました。後、飛鳥の浄御原宮(きよみがはらぐう)を造営せられ
第四十代天皇に即位され、天武九年日本の社殿草創の時、天河社壇真名井の聖地に
御社殿を御造営され、天の安河大社(あまのやすかわたいしゃ)と称せられたのであります。

その社殿に辨財天尊像をご遷座され御秘神天照比売(ごひじんあまてるひめ)と
称せられたのであります。その天照比売辨財天は六十年に一回の御開帳とされています。

 以来千三百有余年、国の重鎮貴顕高僧達が、天河(てんかわ)の御神業(ごしんぎょう)を重ねられ、
神威高揚にお働き下さったのであります。その間幾度か社殿が建て替えられてきました。

 前社殿も二百八十五年の年月が経ち、甚(いた)く損なわれていたため神議(かむはか)りして、
新たに社殿の建て替えが執り行われる事となったのです。

 昭和六十年より浄払い、地鎮祭、上棟祭を執り行い、平成元年(1989年)七月十六日、
厳粛に遷座の儀を納めたのであります。

吉野檜の御拝殿中央部に天河社神宝(かんだから)、神代鈴(じんだいすず)「五十鈴(いすず)」を
新たに調整し掲げられたのであります。
その中央部の五十鈴に麻緒綱(あさおつな)「鈴緒(すずお)」が取り付けられたのであります。 







 
五十鈴は、天河神社に古くから伝わる独自のものです。
この形は、天照大御神が天岩戸にお隠れになられた折、
天宇受売命(あめのうずめのみこと)が、岩戸開きに神宝「五十鈴」を振り
神舞を奏上されたものと同じであると伝えられています。

「生魂(いくむすび)」「足魂(たるむすび)」「玉留魂(たまずめむすび)」という
三つの魂が、この鈴の妙音の響きを共鳴させることで清められ、奮起し、
また調和して、本来一人一人があるべき状態となるとされ、
新たな活力が湧いてくるともいわれています。

ご神殿にある巨大な五十鈴は、二つの五十鈴が重なるように取り付けられ、
中央にある円形の空洞から5メートルほどの長いが下りています。
鳴らすには鈴緒を持ち上げ、円を描くように回転させると美しく神殿に響き渡ります。

 





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